大塚選手、競技生活引退までの20年

 先日開催された「第74回びわ湖毎日マラソン」を最後に大塚選手が引退しました。
 大塚選手は2009年に愛知製鋼に入社し、10年間主力としてチームに在籍し、マラソンで愛知製鋼記録を更新するなど、数々の功績を残してきました。
 今回は10年間の功績を称え、大塚選手の引退手記を掲載いたします。
 


2011年中部実業団駅伝(24歳の大塚選手)
 

応援してくださった皆様へ 

 愛知製鋼で10年、選手としては20年の現役生活を終える時がきました。これまで、多くの方々に応援していただいたおかげで充実した競技生活を送り、走り続けることができました。

 小学生の頃から走る事が好きで、よく地元のマラソン大会などに出場していました。走るたびに表彰台に立つことができ、家族や周りの人が喜んでくれる事が嬉しくて、それをきっかけに中学で陸上部に入部し、競技生活をスタートさせました。

 
中学、高校、大学では、個人では力が無く全国大会など大きな舞台に立てませんでしたが、チームでの駅伝に全てを注いでいました。熊本国府高校時代には、県の高校駅伝で初優勝し、全国高校駅伝(都大路)へ初出場を決め、都大路を走りました。

 上武大学時代には、箱根駅伝初出場を決めアンカーとして箱根の大舞台を走らせてもらいました。いずれも主将として、恩師、仲間に支えられたおかげで、大きな目標を達成し、皆と最高の喜びと感動を味わう事ができました。


 


 そして、実業団選手として愛知製鋼に入社。大学までは、仲間に助けられて目標達成してきましたが、実業団では自分自身の力で、マラソンで日の丸を付けて世界の舞台に立つという目標を持ちながら挑戦を続けてきました。

 19回走ってきたマラソンの中で、最も印象的なレースは、リオ五輪選考レースだった'15福岡国際マラソンです。前半、体が思うように動かず早々と先頭集団から遅れてしまいましたが、それでも粘って追い上げ、埼玉県庁の川内選手と選考対象である日本人3位争いを、競技場の最後の直線まで繰り広げたレースでした。私の中では完全に失敗レースと思っていましたが、テレビを見て応援してくださった多くの方から、凄かった!感動した!と言葉を頂いた時に、誰かに喜んでもらえる、感動や元気を与える、これこそが自分の原動力であり役割でもあると思えた価値あるレースでした。
 

 



2015年福岡国際マラソン
川内選手とのデッドヒート

 


ラストランとなった2019年びわ湖毎日マラソン
(Photo by nakajimaLA)

 

 ここ数年は、マラソンで結果を出せず、練習も思うようにできないことが増え、「もう限界か?いや、まだやれる!」と自分に問う日々でした。そんな中、2年前に東京五輪の予選であるMGCの開催が決まり、この舞台に立つことを最終目標とし、届かなければ引退すると決めて、2年間やってきました。結果その目標には届かず、日の丸を付けるという夢にも届きませんでしたが、目標に向けて取り組んだ日々は、今後の人生の糧となると信じています。

 陸上を通して、多くの出会いに恵まれた20年でした。支えていただいた全ての皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。なによりいつもそばで支え応援してくれた妻と子ども達、家族に感謝しています。

 今後は、この経験を活かし、新たな夢や目標を見つけ挑戦を続けて行きたいと思います。

 
20年間ありがとうございました。


                          2019.4.10大塚良軌


 


プロフィール

大塚 良軌(おおつか よしき)
86年生まれ 熊本県出身 2009年入社
中学校で陸上競技部に入部し、競技人生が始まる。
高校時代には熊本県高校駅伝で初優勝し、全国高校駅伝の初出場が決まる。
その後上武大学に入学し、上武大学の箱根駅伝初出場の立役者となる。
09年に愛知製鋼へ入社、名古屋ハーフでは日本人トップの6位入賞。
14年の別府大分毎日マラソンでは愛知製鋼記録を更新し、その年にシカゴマラソンに出場。
15年には福岡国際マラソンで日本人3位に食い込み、リオ・オリンピックの選考まで上り詰めた。

 

 

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