選手インタビュー: 松宮隆行選手、大塚良軌選手、安田昌倫選手
 チームで30歳を越えた3選手。この年齢になっても、今もなお競技者として走り続けている。長い競技生活の中でいくつもの苦悩や障壁に 立ち向かい、乗り越えてたことだろう。
 今回はそんな3名に競技を続けていく上での取り組み方を聞いてみた。
 

■中高時代の挫折や、意識を変えた出来事はありますか?

<松宮>
 中学や高校に限らず今まで1回も挫折を感じた事はありません。なぜなら負けたり良い結果が出せなくても「これが自分の今の実力だ」と全てを受け入れているからです。
 レースで1周遅れになったりシューズが脱げたりと、恥ずかしい経験をした事も今まで沢山ありますが、挫折を感じることはありませんでした。


<大塚>
 高校に入学して、初めての5000mの大会。同じチームの同級生3人は15分前半、私だけ16分台だった事がとても悔しく、そこから「あいつらには負けたくない」という強い気持ちで、日々の練習に取り組んでいました。彼らの存在は、年間身近にいるライバルとして、刺激のある充実した日々を過ごさせてくれました。

<安田>
 中学3年生の時に出場した全国大会と、高校2年生の時に出場した近畿インターハイです。
 たまたま地元京都で開催された全国大会。自分にとって初めての全国レベルの大会でした。3000mに出場した自分は呆気なく玉砕し、涙を流しました。「やはり全国で戦うには経験が必要。高2の時点で全国インターハイには出場しないといけない」と考えました。
 高校2年生の近畿インターハイ、ここで6位までに入れば全国大会という場面でしたが、かすりもしない順位でした。「このままでは全国区の選手になれない」そう思い、今まで以上に頑張るようになりました。
 
■年齢とともに故障や体調面での課題が多々あるかと思いますが、対処法などはありますか。

<松宮>
 30才過ぎくらいから少しずつ疲労の回復が遅くなり、いつも出来ていた練習が出来ないことも増えていきました。練習を頑張り過ぎてヶ月くらい疲労が残った事もあります。 
 今はだいぶ疲労との付き合い方もわかってきて、練習を欲張らず身の丈に合った練習を心掛けています。
 ただ余裕を持たせる練習と楽な練習は違うので、そこだけは間違えないように気を付けています。

<大塚>
 日々疲労と格闘しています。一度調子を落とすと戻すのに時間がかかるようになってきたので、自分の体と常に対話し、自分の体を研究する事に努めて調子を維持しています。このトレーニングパターンは疲れが出る、逆に調子があがる等、過去のデータを見て、コーチからのアドバイスをもらいながら、日々変化していく自分自身に対応出来るように心がけています。また、ケアには重点を置いていて、最新のケアグッズの情報があると、ついつい手を出してしまいトライしています。そのため、年々健康グッズが増え続けています。

<安田>
 
2年前ほどから腰痛を発症し、ポイント練習の次の日に症状が出るなど、それが負担になる機会が増えたと思います。また元々春から夏にかけて調子がどん底に落ちますが、その底が年々深くなっている気がします。
 
少しでも腰痛が軽減されればと、レース時にはサポーターベルトやテーピングをするようになりました。また常日頃から早寝を心がけ、21時頃には布団に入っています。
 その一方で朝練では誰よりも早くに起きてウォーミングアップを開始しています。

■自身がこの年齢まで競技を続けられている理由、秘訣は何でしょうか?

<松宮>
 一番の理由は指導者に恵まれたからだと思います。中学から実業団に至るまですべての指導者の方に、走る環境を整えて頂きましたし、親身になってアドバイスをして頂きました。
 今まで指導して頂いたすべての指導者の方々に感謝したいと思います。

<大塚>
 一番は夢・目標を見失わなかった事だと思います。結果が出ない時、練習が上手くできない時などは、どうしてもネガティブになり逃げたくなります。そんな時は、早い段階でリフレッシュして、気持ちを切り替え、次の目標に向かって前に進むよう心がけています。

<安田>
 大けが、大病がなかったことだと思います。自分も高校1年生の時に丸尾選手と同じく、分裂膝蓋骨になりましたが、手術はせずに済みました。アキレス腱炎にも5年以上私生活に影響が出るレベルまで悩まされていますが、何とか付き合ってこられています。
 半年、1年離脱するような故障がなかったのは、本当に恵まれていると思います。
 



 

 花輪高校時代の松宮選手
全国高校駅伝1区の様子

熊本国府高校時代の大塚選手
2004年熊本県駅伝で恩師からの檄



 



 

 桂高校時代の安田選手
近畿インターハイ優勝時の表彰式

■走り(競技を)続けていて得たものと、失ったものはありますか?

<松宮>
 得たものは経験です。成功した経験も失敗した経験も私にとって財産です。失敗の経験の方が多いですが、その経験をレースや練習に生かしながら競技を続けています。
 失ったものは特にないですが、強いてあげるとすれば野球の応援の時間です。広島カープが大好きで球場に行きたいのですが、レースや合宿で予定がなかなか合わず行けないのが残念です(苦笑)

<大塚>
 得たものは、競技を通して多くの人に出会う事ができました。その出会った方々に支えられ、今も走り続ける事が出来ているので、結果で恩返ししたいと思います。
 逆に陸上に時間を費やしてきた分、陸上以外のお友達が少ないです()

<安田>
 得たものは人との関係ですかね。もちろん陸上競技を始めていなかった、他の種目を選んでた場合の人生は比べようがありませんが、これまで色んな人と出会って付き合うことができたとは思います。 皆さんは自分にとってかけがえのない人たちです。
 
陸上競技に励んでいる分、自由な時間はあまりないですね。学生や社会人で旅行にポンポン行く人を見ていると羨ましく思えます。競技を辞めたら世界中の美術館・博物館、MLB30球団とNPB12球団のホーム球場を制覇したいです。

■これまで様々な場所へ合宿や試合などに行ったとは思いますが、何かその時の思い出、エピソード等はありますか

<松宮>
 ここ最近のレースでは2015年3月のびわ湖マラソンが一番印象 深いです。その理由ですが、スタート前から雨が降り続け気温が低く大変厳しい気象条件でした。25km過ぎから体に疲労が出てきたせいか体の体温が下がり、ペースダウンをしてしまい勝負に絡む事が出来ませんでした。30km以降は体が冷え過ぎて途中何度も途中棄権が頭をよぎりましたが、なんとかゴールする事が出来ました。
 今まで沢山のレースに出場しましたが、ダントツで1番タフなレースでした。

<大塚
 2013
年に初めての海外遠征でシカゴマラソンに出場した際、長時間の移動に加えトラブルで到着がかなり遅れ、時差ボケもありレースの前に精神的にかなり疲れてしまいました。その経験をきっかけに、あまり神経質にならず、想定外の出来事が起きた時も、ポジティブな方向に切り替えられるようになり、柔軟に対応できるようになりました。
 また、シカゴマラソンでは、国内では味わえない雰囲気の中で走る事ができ、またこんなビッグレースを走りたい、世界の舞台に立ちたいと強く思うきっかけとなり、貴重な経験が出来た大会でした。

<安田>
 毎夏、妙高高原へ合宿へ行きますが、観光客の方に道を聞かれて普通に返答できる自分自身に驚きます。「もう地元の人間やないか」と。
 他に驚いたのはビレル・プラハGPが開催されたチェコの治安の良さです。ホテルのそばの大きな公園を、早朝速めのペースで走っており、一人で歩いている女性の隣を駆け抜けましたが、一切振り向くことがありませんでした。それだけ安全な街なのでしょう。
 またチェコの帰りに、アタトゥルク国際空港(トルコ)で飛行機が7時間遅延し、地べたで難民のように寝ました。


■応援して下さっている方々へ


<松宮>
 いつも応援ありがとうございます。これからも愛知製鋼陸上部へのご声援よろしくお願い致します。

<大塚>
 いつも応援ありがとうございます。ベテランと呼ばれる年齢になりましたが、それをいい訳にせず、逆に経験を武器に、マラソンで活躍できるよう頑張ります。

<安田>
 遠くからレースへ来てくださったり、ファンレターを下さったり、学生時代から応援してくださったりと感謝してもし切れません。

 
年齢的なこともあり競技生活も限られてくると思いますが、残された少ない競技者としての期間を全力で邁進していきたいと思います。今後とも応援宜しくお願い致します。
 


■松宮隆行(まつみや たかゆき)
1980年2月20日生まれ、秋田県鹿角市出身
163cm/49kg 花輪高校→コニカミノルタ
中学1年生から始め競技暦27年目
愛用品は、入社してずっと履いていアシックスのシューズ。
足にフィットして走りやすいのはもちろんですが、まめもほとんど出来ません。これまで大きな故障もなく走れてこれたのは、アシックスのシューズのお陰だと思います。
 


■大塚良軌(おおつか よしき)
1986年12月14日生まれ、熊本県阿蘇郡出身
170cm/55kg 熊本国府高校→上武大学
中学1年生から始め競技暦20年目
愛用品は、日々共に走り続ける相棒のニューバランスのシューズ。
 


■安田昌倫(やすだ まさみち)
1987年10月13日生まれ、京都府京都市出身
177cm/60kg 桂高校→明治大学
中学1年生から始め競技暦19年目
愛用品は、阪神タイガースカラーで「猛虎神撃」と書かれたマラソンシューズ。

 

 

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