第3回
日本の製鉄の歴史について
司馬遼太郎著 「司馬遼太郎が考えたこと 14 エッセイ1987.5~1990.10」(新潮文庫)」 の16-44ページに、司馬遼太郎のロンドン講演録(「文学からみた日本歴史」、昭和62年6月)が載っています。その中に 「製鉄」の歴史とその社会的意味が述べられています。そこには、日本には紀元5世紀頃、製鉄技術が朝鮮半島から出雲地方に渡ってきた、鉄製品は農耕用の鍬や鋤などが多く生産され、稲作が急速に普及して多くの人口を養い、商品経済も盛んになって、「縄文時代」 と呼ばれる社会から稲作勢力の社会である 「弥生時代」 が始まった、対中国への「鋼(はがね)」 の輸出が盛んになり、 中国からは 「漢文」 の書物が多く入るようになり、日本式漢文の読み方が発明されて、文学の興隆となった、とあります。
また、同講演録には、産業革命の中心の英国では、先端技術の 「蒸気機関」 とともに、やはり「製鉄」 が産業の基盤であり、とくに 「コークス」の発明によって、それまでの製鉄燃料の木材の消費量が減って、英国の森の消失を緩和し、大気汚染も緩和された、などとあります。
ところで、筆者は鳥取県安来市の和鋼博物館(日立金属(株)安来工場附属)を2度訪問する機会があり、上述の日本の製鉄に関する歴史を神話も含めて確認しました。 その当時のスターは何と言ってもスサノオノミコト(天照大神の弟、建速須佐男命)です。八股の大蛇退治で有名ですが、この「八股の大蛇」とは、製鉄(たたら製鉄)集団の暴挙の象徴的比喩との説です。自然復元力の弱い朝鮮半島の山林を破壊しつくしたあと、砂鉄の採れる出雲地方を目指して海を渡ってきた製鉄職能集団は、製鉄のため山林を破壊し、おそらく鉄製の武器も使用して地域住民を圧迫したと思われ、地域住民たちは大和朝廷に助けを求めたとのこと。そこで朝鮮半島にも渡った経験があり母の故地である出雲の鳥髪山(船通山)に棲んでいた、知略勇猛な須佐男命が派遣され、この八股の大蛇を退治し(知略で頭目を倒し、製鉄集団を従えたか、そのとき3種の神器の草薙の剣を手に入れ)、出雲砂鉄の製鉄産業を発展させた、とのことです。日本書記の記述のように、大陸留学経験(新羅)で中国文明にも触れたかもしれない須佐男命が製鉄の重要性を認識し、製鉄産業で大和政権を盛り上げたかもしれない、とは想像過多でしょうか。決死の八股大蛇退治の決意には、製鉄技術への強い憧憬があったのではないか、とも思われます。
なお、須佐男命は知性が高く、日本初の和歌 (八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を) を詠んでいます。八股の大蛇への生贄にされそうになっていた櫛名田比売(くしなだひめ)を守り妻とし、その妊娠出産のために心を尽くしたとのこと、その愛情に満ちた心配りがこの詩に溢れています。
一方、この須佐男命は、現在筆者の近隣の神社ではどこでも「疫病よけの神」として祀られています。そしてこの由来を誰も説明できない、これは何故でしょうか? 筆者の大いに興味あるところです。須佐男命の一般的イメージとはかけ離れた印象ですが、この詩(和歌)に反映している人間・生命への深い関心や大陸留学時に触れたかもしれない、また製鉄集団が身につけていた漢方医療の知識の可能性などを考慮すると、理解できそうな感じがします。このことに関しては、「本草綱目」(明代1593年、李時珍編著)の 「石の巻;慈石」 を想起し、 鉄の磁気の疫病除け効果の可能性に注目したいと思います。
製鉄に関しては、中国で始まったのではないか、と推定される材料は種々存在していますが、「封神演義」 にも興味深い記述があります。 「封神演義」 (安能務訳(上)(中)(下)、講談社文庫)の第100回:武王が列国諸侯を封ずる では、武王から斉(山東省)侯に封じられた太公望が武吉に 「青銅器の時代は過ぎた。斉国で鉄を作ればいくらでも売れる。塩も作れ。それで斉国を豊かにして人民を富ませる。」 と仕事を命じる場面があります。さらに、 「斉は強国に発展し、300年後に 「春秋戦国時代」が到来する。その最初の覇王が 太公望の15代目 「斉の桓公」 であり、それを援けたのが宰相の管仲である。管仲は思想史的に太公望の弟子である。」 とあります。 安能務著 「春秋戦国時代」 では、管仲は若い頃、親友の鮑叔と農耕用鉄器の商売で大いに富を得た、とあり、 斉国では一貫して製鉄と製塩は国力の基礎として発展した、とあります。
「封神演義」 は、「西遊記」 とともに、 中国では史実をベースにした長期人気の大衆読み物であり、記録資料としての価値は不明ですが、参考資料にはなりそうです。 紀元前11世紀初頭、 殷(商)王朝が第31代紂王のときに衰退し、 四大諸侯の一人の西周の文王が太公望を軍師として得て、息子の武王が太公望の軍略で牧野の決戦に勝利、殷から西周の時代に移るという史実ベースの物語です。
また、始皇帝の秦国の誕生の一因には、鋼製武器が他国の青銅製武器を圧倒した (司馬遼太郎 「項羽と劉邦」 新潮文庫全3巻) 、との見方もあり、総合的観点からは、現代の産業経済社会においても 「製鉄」は、社会の基盤技術であり続けるでしょう。
日本への製鉄技術の伝来には、大部時間が掛かったようですが、伝来後は日本特有の技術の発展により、「日本刀」 に象徴されるように 「世界一の鋼」 に成長しています。鋼をベースにした磁性体である 「電磁鋼板(方向性珪素鋼板)」 やアモルファス磁性体なども、日本製は飛び切り高品質・高機能製品になっています。鉄製品は、愛知製鋼の自動車用特殊鋼などが代表的ですが、筆者が研究面で関係する電磁鋼板は、電力エネルギー時代の鉄製品の代表的製品のひとつです。筆者が英国留学中(1978)、日本の電磁鋼板HI-B(発明者は新日鉄の田口氏)は、英国でよく購入されていると聞きました。HI-Bは、張力被覆という表面特殊処理を施して磁壁を微細化して渦電流損失を減少(無負荷時鉄損減少)させるため、柱状変圧器の場合単体の価格は2割増となり、電力系統の電力損失は軽減されることになります。英国ではこのSystem evaluation (Loss evaluation) でHI-Bを購入し、日本では変圧器単体の値段が高いので購入しない、という評価方法の違いがありました。 2017年いまだにこの違いは続いているようです。社会の持続的発展を模索する現在、どちらの評価方法がよいのでしょうか。単体価格評価と単体ハード品質向上は、どこかで繋がっているようです(機能(ソフト)よりも、品質の高いもの(ハード)は値段が高い)。
アモルファス電磁鋼板は、日米貿易摩擦品目でした。日本政府は、3万台の米国製アモルファス柱状変圧器を義務として購入しましたが、有効活用されなかったようです。アモルファス薄帯のハードの品質の低さもさることながら、アモルファス薄帯の機能の原理的欠点を克服する工夫がなされていなかったためです。まず鉄系アモルファス薄帯の高磁歪の問題があります。高磁歪のため磁歪騒音が発生します。アモルファス薄帯の磁化回転で発生するため、結晶質磁性体より対策が困難になります。60Hz変圧器を構成すると低周波120Hzの騒音となり、環境騒音となります。柱状変圧器の場合でも、とくに日本の都市部の人口密集地帯では騒音は深刻になり、使用できなくなります。騒音を発生しない零磁歪アモルファス薄帯は飽和磁化が低いので、大型変圧器となってしまい、実用的でなくなります。郊外での変電変圧器としても騒音が大きく、コンクリートで覆うなどの2次処理にコストが嵩み、低鉄損のアモルファス薄帯の特長がなくなってしまいます。密集人口都市部の変圧器技術は、環境調和技術の試練の場になっています。
ここで製鉄の歴史の話から、2年前(2015)にユニチカ(株)から愛知製鋼(株)に移ってきたアモルファスワイヤ(金属繊維)の考察に話が跳びます。
日本製アモルファスワイヤは、それまでの超急冷の方法の常識を超えた水中超急冷紡糸法で作成されます。最初のアモルファスワイヤは、1975年に米国のR.C. O’Handley によって作成されましたが、回転鋼ドラムの表面にV字型溝を形成して作成されました。 このため、断面や太さも一様でない約40cm長の細いいびつなアモルファス磁性体だったそうです。しかしこのワイヤでの長さ方向の磁区伝播現象が測定され注目を浴びました。
日本においては、新たに 「水中超急冷法」 のアイディアが大阪大学の大中逸雄教授から出され、東北大学の増本健教授の研究室においてユニチカ(株)の萩原内地研究員が多くの改良を加えて、1981年に均一・長尺(km)の工業レベルの高品質アモルファスワイヤが誕生しました。このアモルファスワイヤの中の零磁歪ワイヤを高度に線引きし精妙に熱処理されたアモルファスワイヤが、現在愛知製鋼(株)で量産されているスマートフォンや腕時計用の電子コンパスチップ内に、高性能マイクロ地磁気センサ(MIセンサ)の磁気ヘッドとして活躍しています。(2年前からは、愛知製鋼(株)とローム(株)の技術提携2社体制に発展)
さて、この水中超急冷アモルファスワイヤ作成法は、従来のアモルファス作成法からは予想されないものです。アモルファス合金は、1970年に 米国のP. Duez 教授研究室で世界初として誕生したものですが、真鍮や鋼のピストン・アンビル法による叩き潰されたFePC箔体でした。このときの超急冷の方法としては、熱伝導率の高い金属(熱伝導率(W/mK)は、銅で395 (100℃)、鉄で72 (100℃))で叩き潰す方法であり、長尺のアモルファス薄帯(約25μm 厚)は、回転する金属(鋼)ドラムの表面で超急冷によって作成されます。この米国での高熱伝導率体によるアモルファス合金作成の発想からは、水(熱伝導率は0.673 (80℃) で鉄の100分の1以下) による超急冷という発想は出にくいものです。
しかし、回転水中超急冷法により、約130μm直径の真円断面で極めて一様なkm長尺のアモルファスワイヤは、現に量産されています。アモルファス合金の目安であるX線ハローパターン、強靭弾性、10万倍電子顕微鏡で結晶が観測されない、などの特徴を示すとともに、特異的な磁区構造による非常に優れた軟磁気特性を示し、高性能のマイクロ磁気センサの原理である 「磁気インピーダンス効果」を発見させる母体となっていると考えられます。
筆者のモットーは 「成功例を分析しこれに学ぶ」 であります。高性能高品質のアモルファス合金ワイヤがなぜ水中超急冷で実現するのか? ここから自然に 「水」 の機能に関心が出てきます。愛知製鋼の製鉄の過程でも 「水」 が 焼入れ (quench) はじめいろいろな場面で活用されています。筆者の 「水と磁気の研究」 は2001年から始まりました。水の電磁気特性は、生物、生命の機能を支えるものであり大変面白いものですが、その詳細は別の機会に譲りたいと思います。その骨子は、 「水の電磁気機能はプロトン(陽子; H+)に拠って生じる」 というものです。 まず、われわれ人類および地球上の生物の存在にとって最重要な、細胞ミトコンドリアATPアーゼにおける生体エネルギー物質ATPの生成が細胞水中のプロトン流で行われている、という事実(英国 J. Walkerら)です。 この1990年代後半に出現した新しい生理学(ATP生理学)に拠れば、『人体の細胞水(血液などの体液)の中のプロトンを動き易くする方法により生体が活性化する』 という新しい健康法が見つかったことになります。水の中にプロトンが存在することは、まだ直接に観察されたり測定されたりしたことはありませんが、(1)水は負の磁化率(1g当たりのCGS電磁単位で χ = – 0.720 ×10-6 (20℃)) を持つとあり、これは水の中のプロトン磁気モーメント 1.4106×10-26 (J/T) が印加磁界と反対方向を向くことで説明可能である, (2)ニュートリノが質量を持つことを証明したスーパーカミオカンデでは、プール内の5万トンの超純水のなかのプロトンにニュートリノが衝突することで電子と陽電子が発生して、陽電子の発光を超高感度光センサが捉える、ことを原理としている、などから水の中のプロトンの存在が推定できます。この水中のプロトンはどこから来るのか? これはまだ解明されていませんが、ひとつの考え方としては「太陽の核融合でプロトンは発生し、太陽黒点活動で地球に噴射され、磁気圏に達して地磁気磁力線に巻きついて滞留する(電離層の形成および地磁気により地上の生物が宇宙線に直接曝露されない仕組み)、プロトンは大気分子より軽量のため、単独では地上に達することはできないので、海などから上昇する水蒸気分子H2Oを水素結合エネルギー(約 20 kJ/mol)で動的に結合して大気分子より重い水分子クラスタ H+3O (H2O)n n = 1, 2, … を形成して雨となって地上に達し、生物の体内(細胞)に取り込まれる、とのメカニズム仮説で説明可能となります。
上記の水中超急冷法による一様長尺の高品質アモルファスワイヤの形成時や、製鉄過程での表面焼入れなどの水処理では、水中のプロトン(プロトンエネルギー)が重要な効果を発揮しているのではないか、と思っています。これは今後の要注目点だと思われますが、アモルファスワイヤを含む製鉄技術において、水の中のプロトンの移動度を高めることは、今後いろいろな面で新規な効果を発揮するのではないかと思います。
2017.08.29 - 09.01