第4回

研究者の自主性、研究のオリジナリティと特許

大学の研究者、企業の技術者の人々が、退職後も含めて人生100歳時代を生涯意欲的、創造的に生き抜く根源は? と問われれば、その答えのひとつは いわゆる 「自主性」 であると思われます。この 「自主性」(毎日、自分で自分の研究目標を設定し、マイペースで主体的に取り組むこと) は、大学や企業などの組織の中にあっても、国際的にもビジネスの仕事や学会活動などを通して、周囲と協調しつつ常に意識的に磨いておく必要があります。

研究者においては、この「自主性」の具体的なひとつが、発見、発明のオリジナリティ (Originality) の保証、相互尊重です。 発見、発明のチャンスや才能は、全ての人に等しく与えられています。これまで、活版印刷法の発明や蒸気機関の発明など著名な発明が多く知られていますが、それらは、まずは慧眼による貴重な発見から始まっています。すべての研究者の頭(心)の中には、若い頃に友人たちと競って必死に吸収したいろいろな理論や研究者としての自己研鑽のエネルギーが渦巻いています。産業界や社会からの要請に応えようとする情熱はとくに重要な要素です。仕事の上での実験で感じたふとした疑問が気になって「何日も何ヶ月も考え続ける自分」を見出したら、研究者の素質十分です。すなわち 「研究者とは深く考え続け人」 とも言えますが、この考えを深めていく軸がそれぞれにあり、それはやはり理論です。理論は、前提や条件を設定した上での矛盾のない論理の積み重ねの概念の発展体系であり、その時その時の考察の闇の中で道筋を照らす光明と言えます。理論は、諸々の自然現象の規則を抽出したエッセンスなので、大概の現象の説明は可能です。理論との出会いは、一般的には大学院の修士課程(現博士前期過程)のセミナー輪講の時です。著名な理論書の各所に出てくる理論式に関して、なぜそれが導かれたか、どのような機能を発揮するのか、さらに関連する書物などは、担当の教授が教えてくれますが、その著書のもつ力(エネルギー)は読む者の感じ方によって異なります。その著書(著者)の学問的エネルギーと読者の学習のエネルギーが共鳴すれば、読者はそれを肌身離さず携行してボロボロになっても読みふけり読み返すことになります。

さて、その人の発見の現象が従来の理論で説明できるものであれば「よい発明」に繋がる可能性があり、従来の理論を拡張することによって説明が可能であれば「非常によい発明」に繋がる可能性があります。 後者では、理論の側でも新たな刺激を受けることになります。

わが国では、1980年代に至っても、研究上の発見は理論的に整理してまず英語論文で海外で公開すること、という知的財産上無防備な考えが優先されており、しばしば知的財産を先取りされたと思われる事件が多発していました。やっと2000年になって「科学技術創造立国」、「知財立国」を国策とするようになり、知的財産を重視するようになりました。現在では、「まず特許の申請を済ませてから、学会などで公表する」 という考え方が定着して来ているようです。日本の特許法では、欧州のように「先願主義」 (米国では「先発明主義」 であり、研究ノートが重視される。) であり、特許の申請の日付が重要です。例えば、佐川真人氏の NdFeB超強力磁石(鍛造型)の特許出願日は、米国のGEグループのそれ(超急冷粉末ボンド磁石型)より1週間早かったとのことです。特許申請には「補正」という制度があり、請求項目の変更は出来ませんが実施例の追加や修正の機会があるので、まずはいち早く申請できる制度になっています。(特許法は改正されることがあるので、最新の情報は特許担当部署に照会する必要があります。) わが国では、国立大学等の研究者が特許を申請する場合は、2004年の国立大学法人化の前までは、文部科学省系の独立行政法人科学技術振興機構(JST)に明細書の案文書を郵送するだけで、敏腕の弁理士グループに渡り、迅速に特許申請され、その後研究者が特許審査官の拒絶理由書への回答を引き受けるなどの効率的な体制により、特許認可の確率も非常に高い状態でした。そしてJSTの委託開発制度により、企業は国費の融資制度(20億円上限)を利用して、開発を成功しやすく進めることが出来るようになっていました。

2004年からは国立大学が法人化(国立大学の経営の民営化)され、このJST中心の特許管理システムが、全国86の国立大学への知的財産センター設置により分散化されました。この国立大学法人化の趣旨が、わが国の産業振興政策での国立大学教員の産学協同による人的資源活用であったため、大学での知財センターを通しての特許申請が「特許申請数の競走」活動になっていきました。これはある時期では必要ですが、できるだけ短期間に終了して、質の高い(原理発見による新規性の高い)特許申請の競走に発展する必要があります。

「明細書」の作成は、特許申請に当たっての必須の作業ですが、筆者はこれを仮に「右脳の活動」と捉えています。大脳皮質生理学(大脳生理学)によれば、「大脳皮質左右半球における高次脳活動の機能分担(Sperry, 1974; 杉晴夫編著「人体機能生理学」南江堂、改訂第三版1999年、p180, 図9.42) では、「言語・書字、計算 は左脳、非言語的概念、空間認知 は右脳」 となっています。実際の人体の機能は、「中枢神経系」(随意機能中枢)や全ての内臓と脳をつなぐ「迷走神経系」(不随意機能中枢)、5感覚器官系のそれぞれ自律共振系が動的に協調連携して発揮されているようですが、明細書作成作業の特徴を単純化して強調すると、右脳の活動で表現できそうです。研究者の一般的な重要な仕事は「研究成果を学術論文にまとめて公表すること」 でありますが、これは「課題の設定の下での論理の無矛盾展開」が必要であるので、主として「左脳の活動」と言えそうです。

研究者の脳活動の活性化は、それぞれの個性にも拠りますが、左脳活動の論文作成を中心に、時折自己の研究の総括や将来展望を俯瞰し、右脳活動の明細書案作成で特許の価値の範囲を考察することは、次の研究の構想にも繋がり、明細書の作成は脳活動の面でも大変楽しい作業になります。また、直感的にも理論的にも強力な基本特許を保有すること(JSTから出願する場合は特許権者はJST)は、(JSTが主導する)長期的な産学官連携の推進エネルギーとなるので、工学研究の実践的で強力な展開ができることになり、「研究の自主性、主体性」が長期的に保証されることになります。

発明と特許の制度の歴史について

「特許」は、現代の産業社会においては、発明(研究)のオリジナリティ(独創性)を権利として保証し、研究者の研究の主体性を保証し、企業にとっては、開発・ビジネスの主体性を保証する機能(独占的実施権)を持っています。その義務としては、発明の内容を社会に公開し(公開特許公報)、権利保持のための特許維持費用を納入することです。

また、現代の産業社会さらには産業新興政策社会においては、「特許」の保有は企業、国、大学が連携して新技術を実用化しいわゆる「イノベーションの創出」に発展する社会的体制としての「産学官連携」に明確な目標と主体性を与え、着実に進展させるエネルギーとなります。

さて、このような「特許」の歴史的経緯を見ますと、その成文法の最初は、イタリアヴェネチア共和国での1474年の「発明者条例」の公布であるとされています。この時代は、産業社会の誕生の先駆けである英国を中心とした18世紀後半の「産業革命」から300年ほど前の時代であり、1492年コロンブスの新大陸発見など「商業貿易の時代」であるため、「発明」と「特許」の関連の社会的通念は、現在とは異なっているようです。「特許」に関しては、その後1623年イギリス議会で「専売条例」が制定されており、これはエリザベス1世とジェームズ王が塩税や澱粉税に認めてきた「特許」を原則的に禁止したものです。この時の「特許」は王権の範囲のことでした。このような曲折を経て、後にジェームス・ワットの蒸気機関(1769年;ニューコメンの蒸気機関の革新的改良)やリチャード・アークライトの水力紡績機(1771年)などの画期的な発明が続出した産業革命の時代がくることになります。王の権利であった「特許」の権利の縮小の法律制定が、のちに「発明者の権利制定」への考え方に転換されていくことは、「貿易・商業社会の時代」から「産業社会の時代」への発展の側面として興味深いことです。

産業革命の推進力には、「ポルトランドセメントの発明」、「コークスの発明」などの都市インフラの基盤技術の画期的発明も続出しています。

セメント技術は、古代エジプトからローマの都市建設など延々と続く人類文明の基盤技術とも言うべきものであり、ポルトランドセメントの先行技術も多くあり、ジェームズ・パーカーのローマンセメント(1796年特許)などがあります。これは、産業革命時代に英国では建築用の石材の価格が上がり、高級な建物でもレンガ造りで表面をコンクリート塗りで石造りに見せかける方法が広まって、セメントの需要が高まった背景があります。

ポルトランドセメントは英国リーズのレンガ積職人のジョセフ・アプスディンによる発明(1824年)であり、研究成果がコンクリートの水和固化の理論的考察に基づいていることと、ネーミング(英国ポルトランド島の石灰岩の色調と似ていることによる)の良さもあって、193年経った現在でもセメントの主流をなしています。筆者も実験用にコンクリートを作成する時にセメントを購入しますが、ポルトランドセメントです。セメントの技術は、石灰石粉末と粘土の焼結粉末の混合が基本となっていますが、コンクリートの水和固化は環境の温度、温度変化、湿度、湿度変化などの影響を受ける「環境技術」であり、セメントが接着剤となる骨材(砂、砕石)の特性も影響するため、地域性が高く(骨材の地産地消)、また現場技術者のコンクリート形成・管理技術の経験も大きな要素になっています。

コークスは、英国のダッド・ダッドリーが発明し1621年に特許を取得しています。この偉大な発明は休眠状態が長く80年以上を経て、1709年エイブラハム・ダービーが製鉄に本格的にコークスを採用して急速に普及しました。コークスの発明の偉大さは、製鉄に伴う森林自然破壊を世界的に止めたことにあります。愛知製鋼の製鋼は、リサイクル鉄の電気炉による再生であり近代の製鋼でありますが、古代からの伝統的製鉄法は、鉄鉱石に含まれる酸化鉄を高温度で還元して鉄を取り出す高炉法であり、コークスの発明以前は、木材を燃焼させていました。このため鉄を量産するには大量の木材を必要とし、短期間に森林が消滅する結果を招くことになり、雨が少なく森林の復元力の弱い地域では、禿山だらけの状態になっています。現に、古代文明の華やかだった国の緑のない山々を見ることができます。

英国では、1600年ごろから燃料材としての木材の価格が上昇し、価格の安い石炭およびスコットランド地方のピート(半石炭)の利用が考えられました。しかし、石炭の硫黄分のため鉄の品質が悪くなり。石炭の使用は敬遠されたため、ダッドレーは石炭を蒸し焼きにして硫黄分を少なくした安価な製鉄用燃料材「コークス」を発明しました。それ以前は燃料石炭の硫黄分のため、ロンドンでも大気汚染がひどく、コークス使用が普及してからは大気汚染も軽減されていったそうです。

さて、近代の人類産業社会文明は「産業革命」によって齎されたことは万人が理解できることですが、産業革命の特徴に関しては、「特許法」の成立や機能も含めて、まだよく研究されていないようです。筆者はこれに関してこれから大いに考究していきたいと思っていますので、今回は漠然たる問題意識のみを述べたいと思います。それは 「産業革命は、科学技術・発明・特許精神の興隆と、市民の自由・権利・義務の意識の高まりとの相互刺激で進行したのではないか」 というものです。これは、日本の明治維新革命の社会的変化から推定されるものです。幕末期に黒船の脅威に曝されて「攘夷熱」が沸騰しますが、これは圧力・権威への不屈感情であり、ヨーロッパの市民の権利意識に通ずるものがありそうです。アジアで最初に産業革命の波に乗った日本の明治維新において、後に「自由民権運動」が発生しますが、何もないところに突如ヨーロッパの市民思想が飛び出すことはないので、明治の「文明開化(産業革命の波)」は、産業革命の精神である「科学技術と市民の権利・義務意識の結合エネルギーへの日本の共鳴」、と見たほうがわかり易いのではないかと思われます。このわが国の「共鳴主体」は、関東平野で発生し鎌倉幕府を開いた「武士階級」の流れの幕末の下級武士、郷士、商人、町人、百姓集団であり、ヨーロッパの市民に対応すると思われます。

この想像からは、我々科学技術研究者にとって重要な考え方が出てきます。

  • (1) 科学(科学技術)は、それまでの王侯貴族の知的遊戯であった存在から、産業革命を経て、「多くの人々の生活を豊かにし安全安心な人類文明を創造するエネルギーとなった。」
  • (2) 産業革命を経て、「発明の特許」は、科学技術の創造主体である研究者の主体性とオリジナリティの権利を保証する制度になった。」

(2)の産業革命を経て発明特許制度の有用性が確立し普及したことに関しては、ジェームス・ワットが蒸気機関の発明特許の実施権の行使でビジネスの立ち上げに成功するなどの例で示されています。上述の「発明者条例」の公布1474年以前ではどのような状況であったのか?それ以前には、「羅針盤の発明」、「火薬の発明」、「活版印刷機の発明」がルネッサンス三大発明と言われていますが、この「活版印刷機」を1440年ごろに発明したドイツのヨハネス・グーテンベルクは、まだ発明者の権利の法律がなかったため、発明の独占実施権の行使などが出来ず、印刷機の会社設立に資金繰りで失敗しています。活版印刷の発明は、ルネッサンス、宗教改革、啓蒙時代、科学時代の発展に広く寄与した偉大な発明であり、晩年のグーテンベルクはアドルフ大司教の宮廷の従者としての名誉を受けています。

なお、グーテンベルク出生の地神聖ローマ帝国マインツ選帝候領マインツでは市民と貴族間の争いが繰り返されており、マインツの貴族だったグーテンベルク一家はライン地方への移住を余儀なくされたとのことであり、その頃から市民の権利意識が高くまた貴族階級、市民階級ともに発明意識が高かったと推定されます。なお、上記三大発明のうち「火薬の発明」や「羅針盤の発明」は起源は中国にあることが知られています。しかしヨーロッパ市民の発明に対する科学的理解と社会的普及の早さに違いがあり、産業革命への影響という面で異なっていたと言えます。「羅針盤の発明」は、地磁気磁力線への磁気針の回転で地球上での使用者の方向を計器の形で計測するものであり、その普及による大航海時代のビッグデータ記録は、1600年の英国ギルバートの「地球は大きな1個の磁石;地磁気の発見」を生み出すことになります。そして2011年からの愛知製鋼によるスマートフォン用MIセンサ使用の電子コンパス (wearable sensor) の生産へと発展しています。

英国の産業革命の代表的発明として、ジェームス・ワット (1736-1819) の蒸気機関が有名ですが、この発明の功績は、(1)綿織物機械を創出し、綿生産地(インド等)を含めた綿織物産業を世界的に創出した。(ワットは、特許の独占的実施権により、蒸気機関機械の製造販売会社を創業した。)(2)国を挙げて新技術の発明の意欲を高め、発明の権利としての「特許法」を定着させた。(英国議会の特別議決として、蒸気機関の特許の効力を31年間に延期された。)、などが挙げられます。現在の特許法は、産業革命時代の特許法の精神を受け継ぎ、産業の健全な発展のために、「発明者(特許権者)には独占実施許諾権を付与する(特許の権利、権利の期間は20年間)。発明者は発明の内容を明細書(公開特許公報)で公開する(公開の義務)。」という権利と義務をバランスさせた巧妙な法になっています。日本には、明治維新によって明治時代に発明特許法が導入されましたが、「法で権利を保証された発明による産業振興近代日本の創出」 の重要性に最初に着目した偉人が、自動織機の発明者豊田佐吉でした。

以上のように、現代人類文明は産業革命をエポックとして変化発展してきていますが、それは人類全員の力によるものであり、そのプロセスにおいて人類の発明と産業の発展が原動力になり、その原動力を法的に育成してきたものが「特許法」であると言えます。日本においても明治維新を契機に 「特許法で権利を保証された発明による産業振興日本の創出」 が展開され、高度成長を経て今日に至っています。

発明の能力と機会は誰にでも与えられています。超高齢社会の持続的発展が必要な現在、研究者は理論的にもしっかりした画期的な発明を行い、特許で研究のオリジナリティを国際的にも保証することに留意して、創造的に活躍を続けることが重要だと思います。

2017.09.29