第11回
高性能 Material(素材)が、
クルマ・スマートフォンの産業社会を進展させる
筆者は、80歳になって、カール・マルクスの「資本論」(エンゲルス編集、向坂逸郎訳、岩波文庫1~9、1867年カール・マルクス序文)を読んでいる。大学2年次に“60年安保”を経験して約60年経ち、その後ペレストロイカのモスクワ市に8日間住み、2021年現在、自動車メーカーの技報の巻頭言を読んで学んだ。想えば戦後の高度成長期を丸々経験している。これらの実体験に基づいて、これからの工学・製造産業のわが国の進む方向に関して、私見を述べさせていただきたい。
わが国は、高度成長期を乗り切り、海外からの技術導入によっていわゆる物質文明の近代化を果たした。1964年には高速道路と高速鉄道の新幹線を開通させ、1984年にはいわゆる「通信の自由化」を果たした。これらの国家的事業も後押しとなって、現在まで世界的に、自動車産業と情報・電子産業がいわゆるクルマの両輪として産業・経済の牽引役を果たしている観がある。筆者は、エレクトロニクス学者の道を歩き、資本主義国米国には毎年のように滞在した。現在の欧米科学技術は、英国を中心とした「産業革命」から出発し、第2次世界大戦で原爆などの核兵器を開発して戦勝国となった米国が覇権を握り、米国式資本主義が中心となっている。しかし米国滞在中では、街中での商品の豊富さとともに、商品の材質の劣悪さにも驚いた。劣悪な材料の物品(商品)は大事に扱われない。乗用車の場合、米国人は前後のクルマにぶち当ててスペースを作り、脱出していた。日本では見られない光景である。2021年、クルマメーカーから技術開発の技報が郵送されてきた。クルマなどの鋼製品を主力とする企業からである。創業者の「よきクルマは、よきハガネから」を創業時以来のDNAとし、よきマテリアル(素材)を追求し続けているメーカーである。同技報の巻頭言には、素材開発の心構えとして、(1)原子レベルでの制御、(2)素材の高機能・高品質を創出する合金の高度化、そして(3)現在および将来のクルマ社会への社会的要請に敏感に主体的に応える、とある。この地道で、製品生産の大道を行く活動の積み重ねが、現代資本主義の基盤であろう。マルクスの資本論は、現在のこの大道を見ると、問題意識が異なるのではないか、と思われる。日本は、次々と画期的発見を行っており、欧米科学技術のレベルにおいても際立っている。「日本の世紀」である。
筆者は、同民族の知的活躍ぶりを誇らしく思っている。そして今回、画期的な発想が次々に製品化されている底力を発見した。高品質素材(マテリアル;material)である。そして、この素材の高品質化を追求し続ける大企業の安定性である。高機能で高品質の素材は、商品(製品)の社会的価値(信頼性)を高め、資本主義社会の安定的発展を支えている。高品質素材の商品は、コロナウイルス感染禍においても、産業社会を安定的に発展させている。欧米の資本主義も、日本の高品質素材の支えがなければ、不安定な資本主義で終わっていたと思われる。
さてここで、商品(生産品)とはなにか、を資本論との対比で考察してみる。カール・マルクスは「商品」とはなにか? の考察からはじめ、商品の価値は、「使用価値と交換価値」に集約される、とした。これらの価値は、人間の欲求から生じている。この人間の欲求の分析が十分であったのかどうか?人間の欲求とは、まず生物的欲求があり、睡眠欲、食欲・排泄欲、生殖欲である。その上に、人間(社会的存在)としての体動・移動欲や創造欲(社会性)がある。移動欲には、動力機関移動欲と自力移動欲があり、前者はクルマ・鉄道・航空機・船舶などによる長距離移動欲であり、後者は自転車などの短距離自力移動欲である。現在の高齢健康指向社会におけるウォーキング(walking)も重要な自力移動欲である。信用・信頼も社会的欲求であり、恐らく近代的で高度な欲求と思われる。仁義礼智信の「信」である。産業創世記の産業革命当時から、現代は100年以上経っており、産業の高度化は著しく、人類の欲求も産業や社会の進展とともに大きく変化している。この流れの中で、マテリアルの高度化は、製品および商品の「信」を支え、産業を支えている。
筆者は、マテリアルでは、特に「アモルファス合金」に着目している。Amorphous alloy は1970年に、カリフォルニア工科大学の Prof. Pole Duez 研究室で誕生し、連続薄帯として製造できるように発展した。そして日本では、アモルファスワイヤが、1981年に東北大の増本健教授研究室で水中超急冷法によって開発された。このアモルファス薄帯新素材は、いわゆる「日米技術摩擦」の対象とされた。その結果、米国製アモルファス薄帯磁心をもつ柱上変圧器を4万台、日本が購入することになった。しかし、電力機器応用でも材料の特性が反映され、多くの課題が浮上して、実用化は困難であった。
アモルファスワイヤは、マテリアル重視の日本の新素材であり、表面平滑・一様長尺な形状の真円断面と磁気的同心円構造をもつ。日米の共同研究の成果により、開発翌年には「大バルクハウゼン効果」という新磁気現象が発見され、米国ベンチャー企業を通して、世界中のスーパーマーケットに20年以上輸出された。アモルファスワイヤでは、1993年には、零磁歪系のアモルファスワイヤで、表皮効果を利用した「磁気インピーダンス効果」が見いだされ、1997年の集積回路式高性能マイクロ磁気センサ(MIセンサ)の発明に発展し、日本における産学官連携の成功例となっていった。日本の高性能新素材が優秀なデバイスを誕生させた典型例である。
このMIセンサは、2001年からは、スマートフォンなどの携帯電話用の電子コンパスとして量産され、さらに2016年にはクルマの自動運転用磁気ガイダンスシステム用として考案・開発され、2021年の現在、上記の技術報告(GMPS)に詳細に記載されているように、政府官庁主催の各地での実証試験に合格している。このMIセンサの社会的普及も、マテリアル高度化による社会変革の好例である。
さて、この高品質素材の商品は、リサイクルを含めて商品の価値を高めるとともに、生産のためにエネルギーを集約的に使い、商品の価格も上げている。これを買うためには、収入が必要であり、社会の高度成長が必要であり、社会発展の目標にもなっている。高品質商品の価値である。
このメーカーとは、文部科学省系の独立行政法人科学技術振興機構(JST)のハイテクコンソーシアム(1998年)以来の付き合いとなった。2001年から携帯電話の電子コンパスを量産した(2011年からスマートフォン用)。この電子コンパスは、スマートフォン画面の歩行地図で歩行ナビゲーションを行うサービスで使用され、GPS(またはGNSS)で位置情報を、地磁気検出の電子コンパスで方向情報を得るものであり、電子コンパスは、スマートフォンで、地磁気というエネルギー分散系の環境情報を検出して、所有者に方向情報を提供している。同社の電子コンパス事業は、2014年からはローム社㈱へ2社体制に拡大した。同社では、2016年には、「クルマの自動運転用の磁気ガイダンスシステム(GMPS)」を開発し、以来2021年現在までの内閣府、国土交通省、経済産業省などの各地での実証試験で合格している。このシステムでは、走行クルマ(主としてバス)の道路面にフェライト磁気マーカーを2m毎に設置し、大きな道路環境雑音磁気の中から、その微弱磁気信号のみを車載MIセンサアレイで選択的に検出して、クルマの「狭路高速正着制御」の走行制御を安定して行うものである。世界的に、自動運転の標準となりつつある。
以上、現代の産業が、クルマとスマートフォンなどの情報端末技術で牽引されていること、それらが、高性能の日本の素材技術で進展していること、を指摘し、産業進展の基礎となっていることを再発見した。
2021.04.02