第12回

科学者の自戒のはなし

先日、日本からカナダの大学に長期間留学した若者と話した。「将来はいわゆる科学者にはなりたくない。科学者の世界は狭すぎる。科学技術の歴史を何も知らない。自分の専門のあり方を全く考えていない。」とのことである。結果として「科学者の人生は、自分の興味の赴くまま、または累代の専門を引き継いだ結果の高度で伝統的な計測機器に囲まれた生活に追われているのみだ。」という印象を受けたようだ。

 これらの疑問に対して、科学者として明確に答えなければならない。筆者は、科学者が人類社会に役立つ仕事をしていることを理解してもらうためには、社会の動向と歴史(いわゆる社会性)や自分の専門に関して、明解に説明する必要があると考えている。しかし、大学教授は伝統的にこれらを説明する慣習がないのも実情であろう。

 ここで筆者が考える科学者のあり方について、少し長くなるが、これまでの経験を踏まえて記す。

 まず、改めての自己紹介になるが、1963年に九州大学工学部電子工学科の第一期生として卒業し、1993年に名古屋大学の研究室でアモルファスワイヤの磁気インピーダンス効果を発見した。翌年には、Special Session on Magneto-Impedance in IEEE INTERMAG’94, Albuquerque, USA が開催され、awarding IEEE Fellow on 1995 に選ばれた。磁気インピーダンス効果を応用した企業との共同研究が、政府官庁の科学技術振興機構(JST)で産学官連携の成功事例となり、筆者は大学教授の慣習的な職域を超えて、それまで企業の仕事とされてきた発明の領域まで踏み出した。そして、高性能マイクロ磁気センサ(MIセンサ)の電子回路の発明まで手掛けた。

 なぜ筆者は大学教授の枠を出て、このような発明をしたのか。端的に答えると、当時この研究がディジタル文明技術の「補完」という観点から人類社会の発展に役立つと確信していたからである。

 読者もご存じの通り、戦後の日本の大学教育・研究システムは基本的に米国流であり、産業政策も米国亜流である。筆者が卒業研究をしていた当時は、真空管積分器のアナログコンピュータが微分解析器としてまだ稼働しており、わが国ではAnalogかDigitalかの大論争の真っ只中にあった。

 改めて、両者の特徴は以下である。
(1)ディジタル技術は、論理回路の論理演算に時間がかかり、電力も消費するが、演算結果は、信頼性が高い。
(2)アナログ技術(微分解析器)は、結果に誤差を生じる上、システムが多段になると誤差が伝搬するものの、積分器動作で時間が早い。

 今となってはディジタル技術の優勢を議論するまでもないが、両者は背反関係ではなく、ディジタル技術の弱点をアナログ技術が補完していることを浮き彫りにした点で、この論争は非常に意義のあるものだった。同じように、現代の文脈でもディジタル文明を補完するものの重要性を軽視してはならないと考える。

 わが国は、高度成長を成し遂げて、世界的潮流を形成したあと、ディジタル文明を補完できるイノベーションの具体化が次のテーマになった。そして、この課題に対して、産学官連携という枠組みで解決策が図られた。しかし、当時日本での産学官連携は経験がなく難題であった。そのため、高度成長を理系人材の育成で推進した大学教授の意識改革から始まった。

 このような動向の中、筆者は、アモルファスワイヤの磁気インピーダンス効果の発見と理論化に留まらず、MIセンサの電子回路の発明まで行った。その結果、表示までの長い時間と電力消費の2面で課題に直面していた歩行ナビや、感度という観点で課題のあった電子コンパスに対して、抜本的な解決策を提示することができた。これらを通して、ディジタル文明技術を補完する役割を担うMIセンサの位置づけが鮮明になった。

 以上、自らの経験を踏まえ、「科学者は文明を創造することだけに限らず、文明を補完するという観点からも、人類社会の発展に役立つべき存在でなければならない」ということを述べさせていただいた。

2021.10.15