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project #2

未来のステンレス建築物の
可能性を広げる

ステンレスAE

ステンレスが誕⽣したのは、今から約100年前の1912年。誕⽣してから、錆びにくい、美しい、⾼温や低温(−196℃~1000℃)でも耐えられる、強度が⾼いなどの特性が評価されたこともあり、⽇常⽣活で幅広く使われるようになった。1980年代に建築物にもステンレスを使おうという動きが出て、2000年ごろからステンレス建築物が建造され始めた。⼀⾒、建築物に使う鉄がステンレスに変わっただけのように思えるかもしれないが、ステンレスは鉄に⽐べて加⼯が難しく、適切に現場施⼯をすることができる業者は限られているのが実態だ。その中でもステンレス条鋼メーカーである愛知製鋼は、唯⼀のトータルエンジニアリング企業であり、鋼材や現場施⼯の品質に絶対の⾃信を持って、実績を積み重ねてきた。こういったステンレス構造建築に関する⼀連の流れをプロデュース・エンジニアリングすることを、当社ではステンレスAE(Architectural Products & Engineering)と呼んでいる。

 愛知製鋼がステンレス構造建築に進出したのは90年代。当時からステンレス形鋼を製造していた当社は、所属していたステンレス協会(後にステンレス構造建築協会が発⾜)のプロジェクトの⼀環として関わることになった。
 当社を含めた実証実験の結果、2000年に建築基準法が改正され、ステンレスも建物の構造材として使⽤することが認められた。⻑年にわたるステンレス協会の想いが成就したとともに、当社の新しい分野への道が拓かれた。

 しかし、法改正がなされた2000年には、バブルが崩壊した後の低成⻑期に⼊ってしまい、法律が整備されても、普通の鉄⾻と⽐べて⾮常に⾼価なステンレスを使おうという企業なんてほとんどなかった。

 そのため、最初から順風満帆にビジネスが進んだわけではない。黙ってオフィスに座っているだけでは、受注なんてできっこなかった。ステンレスが使われる可能性の高い⼯事の⼊札情報を調べて、落札したゼネコンに電話したり、インターネットでステンレスを使⽤する構造物を落札した業者を調べるなど、粘り強く営業活動を継続した。

 転機になったのは、医薬品工場だった。それまで全く知らなかったが、医薬品⼯場の中には⾄るところにステンレスが使われていたのだ。ワクチンなどを製造する際、オゾンで滅菌処理しなければならないが、架台が鉄製だと錆びてしまうという課題があり、錆びにくいというステンレス構造材の強みを⽣かすことができた。

 2005年に初めて架台工事を受注した際は、ステンレス特有の加工の難しさに現場で悪戦苦闘しながらも、何とか及第点と言えるものを納品することができた。

 実は、このころから医薬品業界の景気が上向いており、⼯場の新設が次々と⾏われていたようで、当社もこの実績を契機に、その後医薬品業界からの受注を増やすことができた。そして、現場⼯事を重ねることで、当社ならではの施⼯技術を蓄積することができた。

 逆境の時代でも当社が営業活動を続けたことが⼟台にあってこそだと思うが、医薬品業界の景気上昇という流れに乗って、2012年にようやく当社のステンレスAE事業が黒字化、まさに軌道に乗ったのである。前⾝の部署が発⾜してから、18年後であった。

 現在も医薬品工場などを中心にステンレスAE事業拡大の勢いは止まらない。将来的には社会インフラも含めて、ステンレス建築物の可能性をさらに広げていきたい。